ふぅらむ様宅ネタ(元ネタはこちら)をこねこねした結果です。 小出しにネタを聞いて書いていったので、案外間違えてます。笑 心は広く持って読んで下さい。いやむしろ違う話ですと言い切ったほうがいいかもしれないぐらい違うのでそこのところよろしくお願いします。笑


 
 休みの日は昼をすぎるまでベッドを出ない。そう決めているのに目が覚めたのは、ドタバタと人が出入りする音が聞こえたからだ。隣はずいぶん長い間空き家だったはずで、どうして人が出入りなんかするのかと寝ぼけた頭で考えてからようやく、隣の部屋に人が入ったという結論に達した。布団の中でごろごろと寝返りを打ちつつ、頼むから静かな隣人であってくれと願う。願うだけはただだ。現実がどうかはさておき。
 幸いにして新しい隣人の使っている引越し業者はそれなりに丁寧な人材を使っているらしく、足音以外に聞こえる音はあまりなかった。会話も少なそうだ。足音の往復に荷物が次々と運ばれてきているのが分かる。とは言えこのアパートは1DKだ。多くを持ってきても入るには限度がある。引っ越しだってすぐ終わるだろう。今どき引っ越ししてきたからといって隣人に挨拶に来るやつも少ない。まだしばらくは惰眠を貪ることが許されそうだ。いや、休みの日なのだから惰眠を貪るのは権利だ。誰にも邪魔をされたくない。
 そんなことを考えているということはつまり寝ているわけではないということを認めるのは何だか癪で、二、三度寝返りを打って、しまいには布団を頭までかぶってみた。だけどまあ、一級遮光カーテンを隙間なくきっちりと閉めているのだから外がどんなに明るくても部屋の中は薄暗く保てているのだから布団をかぶる意味はあまりないのは認めよう。要は気分の問題だ。
 時計に目を向けることはしないでおく。時間を意識すると目が覚めてしまうし。今でも充分目が覚めているだろうという突っ込みはお断りだ。目を閉じて布団の中にいるという現状は寝ていると分類出来るはずだし、これから意識を寝る方向へ傾けていけばいずれはまた心地良い眠りに入ることが出来るはずだ。睡眠とは即ち暗示にも似ているものである。うん、いいことを言った。眠い、眠いんだと言い聞かせれば眠たくなってきた気がする。この調子で行けばあと数時間は寝ていられそうだ。予定通り。してやったりだ。
 そうこうしているうちに意識が途切れ途切れになってきて、意識はふいっとそこで一時停止して睡魔に身を委ねた。


お隣さんが言うには


 肌寒くなってくると布団は誘惑だ。毎朝暖かな布団から這い出るのがどれほどまでに苦痛か、理解できない人はいないだろう。これで布団の中に誰かがいたりしたら更なる誘惑だ。人肌ほど暖かで安心できるものもない。まあ、そんなものがあったのは記憶も薄れるほど前の話だ。そう考えれば確かにここのところずっと独りでいる期間が続いている。別に誰かがいないと寝れないとか、不安になるとかそういうことは一切ない。むしろ誰かがいると考えただけで面倒くさい。独りが長すぎた代償かな。別に気にしてないけど。でもこうして寒い日にはちょびっとだけ、人肌恋しくなるのは事実。認めたくないけど。
 目覚まし時計がスヌーズ機能を発揮してもう一度僕に布団を出るように主張する。分かっている。起きて仕事へ行く準備をしなくてはならない時間だ。あと五分、と布団に潜れば確実に遅刻する。ぎりぎりという訳ではないけど、余裕は持って行動するのが大人というものだ。ただの性格という指摘もあるだろうが、少なくとも僕は今までそうしてきた。今更その主義を曲げようとも思わないし、曲げる必要性も感じない。
 布団から手を出して電子音を止めたはずなのに、どこからともなく目覚まし時計の音が聞こえる。寝ぼけた頭で何がどこで鳴っているのかとしばらく考えてから、結論として自分の部屋の中で鳴っている音ではないと判断する。よく考えたら目覚ましはこの枕元にあるこれ一個だけしか使用していないし、携帯電話もマナーモード。目覚まし機能は使ったことさえない。つまり僕の部屋で鳴っているものである可能性はないわけだ。ということはつまり、隣人の目覚まし時計の音ということになる。
 一歩譲って同じ時間帯に鳴るのは許そう。僕が起きる時間よりも前に鳴っていたなら文句の一つでもつけてやらなくては気が済まない。安眠妨害など断じて許されるべき行為ではない。万死に値する。睡眠は人間にとって大切なものであることを理解している者が少なくて困る。睡眠こそがすべてとまでは言わずとも、寝ずに何か物事が上手くいった試しがあるのか問いただしてみたいものだ。
 習慣で布団から出ると直行で用を足し、その足でキッチンに出向いてコーヒーメーカーをセットする。そしてその次はシャワーに入る。朝シャンは頭をすっきりさせる。毛髪には良くないと聞くからどうしようか悩ましいところではあるが、今のところ僕も毛髪は頑張ってくれているようだからこの習慣を変えようとは思わない。抜け毛が増えたら考えよう。
 シャワーを済ませたあとは、冷蔵庫に常備しているヨーグルトにグラノラを入れた朝食。コーヒーはシャワーをしている間に落とし終わっているので、良い香りのコーヒーと共に優雅な朝食タイムというわけだ。新聞は去年から購読をやめて、タブレットPCで電子版を読むようにしている。そうするとゴミも溜まらないし、複数の新聞を簡単に読むことが出来ることに気付いたからだ。素晴らしき哉文明の利器。新聞屋のお兄ちゃんには悪かったけど、しょうがない。これが時代の流れだ。
 朝食を済ませたらサーモスの水筒に残りのコーヒーを入れて、出勤。鞄の中にはタブレットPCと水筒、財布、定期券、家の鍵ぐらいで、ハンカチはズボンのポケットの中。布団を出てから家を出るまでにかかる時間はおおよそ四十五分。もっとゆっくりしたい時は一時間かけるけど、時間をかける部分は主に朝食の部分だ。それ以外は無意識に身体が動くから時間のかけようがない。
 玄関に置いた姿見で一応乱れがないかチェックをしてから玄関扉を開けようと手を伸ばしたとき、隣の家から派手にずっこけたような音が聞こえてきた。擬音で表すなら、どがっしゃん、って感じ。まだ片付いていない段ボールにでもつまづいたといった所だろうか。非常に痛そうな音だが、大丈夫だろうか。まあ、僕が心配する謂れは何もないのだけど。名前も知らないし顔も見たことのない隣人だ。心配するだけ無意味。
 びっくりして手を止めていたらしいことに気付いて改めて玄関扉を開けて外に出る。鍵を鞄から取り出して閉めていると、偶然にもほどがあるタイミングで隣の扉が開いた。
「あっ!」
 人の顔を見て驚いたような声を上げるのはマナー違反だ。驚いたとしても声は出さないのがマナーってものじゃないだろうかと思ったけど、振り返ってその隣人を見るに至り、今日は寛容な気分でいてあげようと心に決める。僕は心が広いからね。
「あ、えっと、おはようございます。隣に引っ越してきた前嶋です。昨日はばたついててご挨拶に行けなくて……」
 わたわたと玄関を開けるんだか閉めるんだか、何やらがさがさしている前嶋くんは、僕が想像していたより若そうだった。大学生ぐらいだろうか。こんな時間に家を出るぐらいなのだから学生か会社員だろうが、会社員という格好ではないから学生か。一旦家の中に引っ込んだかと思うと、慌てた様子でもう一度出てきた。手には鞄と、何やらビニール袋が一つ。彼はそれをずいっと僕に向かって差し出してきた。
「引っ越しのご挨拶です。別になんてことはないタオルなんですけど」
 僕は思わず前嶋くんのことを上からしたまでじろじろと見てしまった。これこそマナー違反ってものだろうと思ったが、それをしてしまってからそのことに気付くぐらい、無意識にやっていた。だって、なんだか礼儀正しさはともかくとして、目を引く外見をしていたから。うん、格好いい。というか、好みかな?
「これはどうもご丁寧に。出来れば今やなくて、夕方のほうがありがたかたいんやどね。ありがとう」
 いけないいけない。すっかりと前嶋くんの外見に騙されるところだったけど、今は一刻一秒を争う朝の出勤時間帯。こんなところで無駄な時間を食っているヒマはなかった。それに部屋の施錠をしたあとでこうした荷物を受け取るのは好きじゃない。だけど隣人の好意を無下にも出来ない。そう思って差し出されたタオルを受け取ろうと手を伸ばしたけど、僕がそれを受け取る前に前嶋くんはそれを引っ込めてしまった。何なんだ。渡すの? 渡さないの? はっきりしたまえ。
「すみません、何も考えずに。じゃあまた夕方に改めてご挨拶に行きますから」
「……構わへんよ。じゃあ十八時以降がいいかな」
 本当は五時には家に着いてることがほとんどだけど、何か予定が押すとも限らない。時間には余裕を持つこと。これが大人の余裕の秘訣。少なくとも僕はそう思っている。恐らく二周り以上年下の青年を相手に駆け引きを試みたところで成立しないだろうけど、からかうぐらいは出来るだろう。しばらくはこれで遊べると良い。
 前嶋くんは元気よく頷くと、ぺこりと深々とお辞儀をした。謝ってるんだかお礼を言っているんだかよくわからなかったけど、僕は微笑んで手を振るとそのままアパートの出口へ向かった。彼がドアを閉めたりするのを待っている義理も義務もない。それに僕には乗りたい電車がある。あと五分も遅れれば予定とは異なる電車に乗ることになるし、それは毎日の予定が崩れることになるから嫌だ。毎日の生活習慣は出来る限り変えたくない。
 いやはやしかし、隣人がうるさかったり面倒なやつが来たら嫌だなとは思ったけど、前嶋くんは反則だろう。あの顔、あの身体。たぶん久しぶりのヒット。あれで面倒でうるさい奴だったら心の広い僕でも我慢出来ないかも知れないけど、うーん、多少のことなら目をつむれるかも知れない。いけない、いけない。向こうはまだ僕の名前も知らないんだった。その先を考えるのは性急すぎるというものだろう。物事はじっくりと。それが上手くいく秘訣だ。

 *

 それなりに裕福な家に一人っ子、あるいは長男に産まれ育つと、もれなく我侭な性格に育つらしい。実際そうなのかどうなのかは知らないが、少なくとも僕の周囲の人間は口を揃えてそう言う。何が言いたいのかと問い詰めると、とどのつまり僕がその代表例なのだという。失礼な。確かに僕はそれなりに裕福な家の長男で、遠く年の離れた弟が一人。弟は僕の息子と言っても通るのではないかと言われたことがあるほど見た目格差があるらしいがそれはどうでもいい。とにかく、僕は人に言わせると我侭なのだという。そんなつもりはないのだが。
 しかしながら僕は自分が欲張りである自覚はある。欲しいと思ったものは手に入れないと気が済まないし、他人にものでも欲しがる傾向がある。そこは大人だから我慢するがね。だけど手に入れることが可能であると判断したら迷わない。だって欲しいんだから。
 時計の針は五時半をすぎたぐらいでぐずっているように見えた。時計に目をやるのはこれで三度目。何度見ても針の動きは遅々として、まさか壊れているんじゃないだろうかと疑ったほどだ。残念ながら時計は正常に動いていたし、電池がなくなっている様子もなかった。ということはつまり僕自身がせかせかしているだけで、世の中は何一つ変わりなく回っているということだ。おかしいな。
 しかし原因は分かっている。今朝約束を取りつけた六時。僕はそれを心待ちにしている。その時間になればきっと今朝見かけたあの、隣に引っ越してきた、ええと、ああそうだ、前嶋くん。彼が引っ越しの挨拶だというタオルを持ってやって来るはずだ。うっかり名前を失念してしまった。顔や姿は目に焼き付いているのに、名前を覚えられないとはこれまたいかん。歳を感じるにはまだ早いはずだ。
 実を言えばものすごく心待ちにしているあまりに、彼の分まで夕食を用意した。あれこれいろいろ言い訳を積み上げて早めに帰ってきたのはそのため。どうせ引っ越して間もない状態なら自炊なんて出来ないだろうし、引っ越し直後というのはどこに何があるのかも分からないはずだ。ということは彼が僕の誘いを断るはずがない。うん、完璧だ。いきなりディナーに招待したりしたら怪しまれるかも知れないけど、そこは言いくるめる自信がある。若いのを舌先三寸で言いくるめるのなんて楽勝、楽勝。
 この時期に引っ越して来るということは大学入学したて。ということはつまりまだ酒を勧めるわけにはいかないから、飲み物は渋々ソフトドリンクだ。食後にコーヒーをいれてもいいかも知れない。彼がコーヒーを嫌いでなければ。料理はそれなりに見栄えするものを用意したし、もし嫌いなものがあったとしても避けられるように工夫はしてある。ああなんて気が利くんだろう。ここまで気が利く女性がいれば結婚してもいいのに。
 なんてぼんやり考えていたらいつの間にやら時計の針はぐるりと回って六時を過ぎていたらしい。ピンポンではなくてビーッと鳴るタイプのインターホンが押された音にびっくりして、比喩じゃなくて本気で椅子の上で飛び跳ねた。普段それを鳴らすのは宅配便のあの愛想のいい兄ちゃんか、郵便屋の小汚いおっさんぐらいだけに、いそいそと玄関に向かう自分が珍しい生き物のように思える。
「はい」
「あっ、こんばんは。隣の前嶋です」
 上京したてなのがすぐにわかるこの純朴さ。思わず顔がにやけるのを必死に引き締める。どうせあと一年も経てばすぐに垢抜けてその辺にいるガキどもと大差なくなるんだろう。可愛いのは今のうちだけだ。時間とは無情に様々なものを奪い去る。
「こんばんは。今時の子とは思えないほど律儀やな、前嶋くんは」
「え?」
 思わず口に出していたらしいけど、別に隠し立てするつもりはないから問題はない。前嶋くんが戸惑った顔を浮かべているのを目の肴にしながら、玄関の扉を精一杯広げた。こうすれば用意したディナーのいい匂いが彼にも分かるだろう。その狙い通りに、前嶋くんは何かに気がついた様子で眉尻を下げた。
「すみません、お食事中でしたか?」
 うんうん、実にいい反応。いい表情だ。僕は別にそういう趣味があるわけじゃないけど、前嶋くんぐらい好みの顔をしているならペットとして飼っても悪くなさそうだ。ただ見た目通りの性格をしていればの話だ。まだ知り合って一日と経っていない相手に過剰な期待をするのはよろしくない。大きな期待は大きな失望を呼び起こす。
 僕は出来る限り無害そうな顔をして部屋の中と前嶋くんとを交互に見遣った。この無害そうな顔というのがポイントだ。ここで下心がバレたらその後のご近所付き合いだってややこしくなる。
「まだやな。君が来るのは分かっとったから。だから夕食を多めに作っておいたんやけど、良かったら食べてかない?」
 ぽかんとした前嶋くんの表情にどきりとした。おやおや、僕としたことが急くあまりに失敗したかな? 思っていたよりこの青年は疑い深い様子。もしかしたらそれほど田舎の出身というわけではないのかもしれない。うーん、逃がした魚は大きいぞ。だけど、希望が失望に変わる寸前になって、前嶋くんのすてきな顔に笑顔が浮かぶのが見えた。その笑顔に反射的に勝利を確信した。
「今日の夕飯どうしようか悩んでたんです。本当にお邪魔してもいいんですか?」
「むしろ食べてくれないと余るから。どうぞ」
  害のない良き隣人作戦は成功をおさめたようだ。何より何より。僕は身を引いて率先して部屋の中に戻っていき、前嶋くんが入りやすい雰囲気を作り上げた。食卓には二人分の夕飯。汁物とご飯は彼が到着してから出す予定だったから、椅子を勧めてから用意しておいた茶碗にそれぞれよそって食卓へ運ぶ。
 前嶋くんはまさか僕がこんなにたくさんのちゃんとした料理を用意しているとは思ってもみなかったのだろう。目を丸くして目の前に並ぶ数種類のおかずを見つめている。素直な反応で大変よろしい。おじさんは素直な子は好きだよ。
「遠慮せず食べてな。嫌いなものあったらよけてええから」
「これ全部ええと……作ったんですか?」
「そう。ああ、自己紹介してなかったね。僕は名護。名護周一」
「あ、俺は前嶋翔です。よろしくお願いします」
 どうぞともう一度促すと、前嶋くんは行儀よく「頂きます」と言ってから箸に手を伸ばした。箸を持つ手もきれいだし、食べる姿も上品だ。ご両親はさぞかし彼の教育に熱心だったのか、あるいは上等な家に生まれ育ったんだろう。いいことだ。食事のマナーがなっていない奴は不愉快すぎる。一緒に食事をする気にならない相手とは同じ空気を吸うのも嫌だ。
「美味しいです。すごいですね、俺料理とかほんと出来なくて」
「出来ない? 一人暮らしはこれが初めて?」
 おかずに分け隔てなく箸を伸ばしているところから察するに、好き嫌いはないみたいだ。これはいけない。前嶋くんにどんどん好意が増えていく。しかし隣人として隣に住まうならそれぐらい気持ちのいい相手のほうがいいに決まっている。ま隣に住んでいたって顔を合わせる機会が少ないかも知れないけど、少なくとも朝の時間はかぶっていたようだし。
「はい。自炊しようとは思うんですけど、何から始めるのかも分からない有様で」
 うーん、料理が出来ないのはマイナス点。だけどまあしようという意思があるなら許容範囲。外食が増えるのは健康にも良くないし金銭的にも自分を追いつめるだけだけど、それが分かっているなら救いようはある。料理なんて慣れだし。慣れてしまえば楽しくなってくるものだ。料理の楽しさを教えてあげるのも楽しいかも知れない。
「まあこれから覚えていけば。楽しいよ。僕でよければ教えてあげるし」
 ちょっと様子を見ながら付け加えてみると、想定外に前嶋くんはきらきらと目を輝かせた。まるで僕のその言葉を待っていたかのよう。都合良く解釈しちゃうからあまりそういう態度は推奨しないけど、もし僕が考えているような下心が彼にもあるとしたら、それはそれで歓迎なんだけどな。据え膳食わぬは男の恥。美味しく頂くのに。
「本当ですか?」
「お隣さんやしね。助け合いってやつでしょ。その代わりこっちが困ってる時は助けてな」
「はは、持ちつ持たれつですね」
 そうそう。そうやって相手の懐に入っておくのが重要。まさか無害で親切な隣人が下心をもっているとは思うまい。うん、僕なら疑うけど。でも常識的に考えて、普通はそんなことは考えない。特に、自分の父親ぐらいの年代の大人を相手には。あ、そう考えると犯罪臭い。今のなしで。
 そんなこんなで前嶋くんは僕の用意したおかずの全部に手を付けてくれて、食卓に出した分はすべて平らげてくれた。これは非常に高感度が高い。ご飯は一杯と控えめだったけど、おかずの量を考えれば少し盛った白米を食べたのは充分な量と言えるだろう。見たところ彼はスポーツをやっているようには見えなかったけど、横に太るタイプじゃないということは、きちんと消費するだけの運動量があるということだ。素晴らしい。マッチョは嫌いだけど、適度に筋肉質な身体は好きだ。
 まだ部屋が片付いていないという口実に前嶋くんは隣の部屋へと帰っていったけど、初回のデート……いやいや、ディナーとしては充分だ。むしろ上手く行き過ぎて怖いぐらいだな。多少は彼も猫をかぶっているだろうけど、向こうも好印象を抱いてくれているような感触だった。これからもっと親しくなっていくことは充分可能だろう。いや、可能性の問題じゃなくて、確実に出来る。こういう駆け引きは得意だからね。
 うんうん、実に愉快だ。こんなにわくわくして楽しいのも久しぶりだ。今までは同居人は然ることながら、隣人もいないという状況に慣れすぎていた。面倒ばかりが目についていたけど、どうやら楽しみもあるみたいだ。これは面倒くさがらずに人付き合いをするのもいいかもしれない。いや、駆け引き、かな? まあどちらにしろ、これからが楽しみだ。

FIN.